GW中、念願の山口県萩市へ。
明治維新の出来事がガキのころから興味があって、それはたぶん親父と見ていた日曜の大河ドラマ『花神』(1977年)がきっかけだったと思う。主人公は村田蔵六(大村益次郎)で、吉田松陰役はウルトラマンタロウの篠田三郎だった。
本物!?の吉田松陰はこれ。門下生の松浦松洞が描いたということですが、29歳でお亡くなりになった男性としては老け過ぎていないか…!?
その番組を見ていた時に住んでいたのが東京都世田谷区弦巻だったので、松陰神社は近くてたまーに遊び場だったりもした。そいえば友達と行くことになった塾も世田谷通りの松陰神社前界隈だったけど、行っても聞いてないわ、サボるわだった。
世田谷の松陰神社(2015)はこんな感じ。
以前に撮った画像が出て来たので追加しておく。その時は開いてたんだ。(忘れてるし)
吉田松陰という人は一般には、日本の近代化への道を開いた人とか、その道へ導くことになった要人を松下村塾から多数排出した先生といったところでしょうか。尊王攘夷思想の人だったので戦前はそういう面から評価されていたり、敗戦後は逆に日本を鎖国状態から新しい世の始まりのキッカケを作った人という評価になったりと、都合良く解釈されてたりしたようです。まぁ僕がここであれこれレベルの低い吉田松陰論を論じてもつまらないと思うので、以下の本などお読みください。
そんなわけで、世田谷松陰神社のレプリカ版松下村塾より、萩市はリアル松下村塾のお膝元ということで、脱藩して密航しようとした罪で野山獄に入れられていた吉田松蔭に関する数々のドラマや書籍のおかげで、今や立派な観光地となっておりますwww
まずは、リアル松下村塾を見てみたかったので早速向かいました。もう鉄ちゃんばりに写真撮りまくりましたよ(笑)
調子こいていっぱい載せました。世田谷の松下村塾は上記の画像の通り、トビラや窓は閉められていて、外側をぐるっと一周してみてお終いなのですが、こうして中の様子が見ることができます。
これがどこにあるかというとこちらの地図で。
立派な人の塾だったのだけど、城下町にあったわけでなく、川を挟んで外れにあったのも泣けます。毛利のお殿様のお城はずっと先の指月城のふもと。
で、松下村塾は吉田家というか、杉家のはなれみたいなもんだったようで、松下村塾の裏!? の平屋の広い家も残されていました。
こんな広い家にこんなご家族が住んでおられました。
と、ゆっくり時間かけて見て回ったのですが、この日他に松下村塾のそもそもの創始者の玉木文之進や伊藤博文の生家とか見て回れるだけ見たのをここで全部アップするのもつらいので、吉田松陰編はこのあたりにして、次は玉木文之進から続けたいと思います。