PR
スポンサーリンク

帰国子女|海外で育って日本に帰って来た人たちの悩みいろいろあるよ。

朝、Yahooニュースあれこれ見出しをみていたら、『帰国子女の憂鬱…楽な人生?とんでもない! 漢字に青春、悩み尽きず 英語コンプレックス抱えた人も』というのがあって、読んでみた。元の記事はこちら▶︎

黒板

帰国子女である友人、知人は結構いて、そんな彼らも父母となり、そのご子息もいずれ帰国子女となる環境にいる人もいます。子供の頃の僕にとっては海外暮らしというのは憧れがあって、親父殿が海外赴任を断ったという話にはがっかりしたものでした(笑)

その代わり(泣)、東京・大阪・名古屋を順繰り転勤で連れまわされたおかげで、この日本3大都市を10代までに経験することが出来たからまぁ良しとしています(笑)

帰国子女である友人たちから子供の頃の話を聞くことは折につけてあったわけだけど、上記の記事にあったようなこととか、それぞれに楽しい思いやそうではない思いをしたことを聞く機会がたくさんありました。(これでも人の話を聞くのは好きな方です。ハイ)

自分の転校経験から日本国内でさえ、地域による習慣の違いとかあって、当時は東京と大阪(関西)は敵対意識!?みたいなのがあって、関西へ行けば東京弁きしょっ!(気持ち悪いの意)、東京に来れば大阪弁をからかわれたりとかありましたなぁ。

今、東京と大阪の違いは? と問われたら、エスカレーターの追い越す側が右と左違う…くらいなもんかと呑気なもんですが、国が違えばもっと複雑なことが身に起きるんだろなと思うわけです。

小・中学生時代を海外で過ごしたら、本人はそりゃもう現地の風習・習慣にどっぷり浸かった状態で生きて来てるので、そのこと自体になんの疑いもなく当然のこととしているわけです。

で、高校生にでもなるタイミングで、親父さんの仕事の都合でいざ日本に行く(本人は帰るというカンカクではなかったらしいw)ことになって、日本の学校に入ってみたら…ということなんですね。

それにしても文化の違うところから戻ってくる、行った時に直面することは、何年経っても似たようなことが起こるんだなぁと、今となっては自分の小規模な経験でも少し苦笑いしつつ思い返したりします。

自分は23歳の時にグラフィックデザインの勉強と称してフィレンツェの学校に行ったのだけど、そこでの授業や他の国のヤツらとの共同生活で、いろんな違いを経験しました。でもその違いは自分にとっては大したことではなく、精神的な負担になるほどのことではなかったです。

イタリアの街

言葉の勉強もほとんどせず行ったもんだから、なかなか英語やイタリア語が通じない最初のころはそのことでイラつくこともあったけど、日本に戻って来た帰国子女が経験するような、まぁ上記の記事のようなことを感じることはなかったんですよね。まぁ変なヤツとか思われてたのに気づかなかっただけなのかもしれませんが。

むしろ、自分から主張することがないことの方がよくない環境だったわけで、やがて多少なりとも言葉がスラスラ出るようになった頃には、みんなとワイワイ飲んだくれたりしていました。当時、伊だけでなく米、英、仏、西、葡、墨、暮のヤツらが集まっていたから、ひとつの習慣の違いでとやかく言われることもなかったのが、よかったのだと思う。

その後、東京に戻って来てグラフィックデザイナーとして仕事を始めたわけですが、これまでいわゆる大きな会社に勤めたことがない。そういう会社さんと仕事はしたけどいたことがないので、学校ではなくそんな会社に入ったらまたどんなことが起きたのかなぁと思う時があります。

社風というものがあるだろうし、自分の意思とはあまり関係なく配属された先の上司や仲間に恵まれる、恵まれないとか、都度いろんな状況に直面するんでしょうね。

他人事のような言い方だけど、フリーで仕事してても全く自分個人のみで仕事が完結するわけではなく、依頼されてやってることなら相手のことも考えながらやるもんです。

帰国子女なりの悩みや辛さというのは、聞けばなるほどなぁと思うし、そこが日本の島国根性の悪いところだよなぁと一緒になって口にすることもあります。

10代はやはり知識も体験も少ないから、いきなり直面する「今まではそうぢゃなかった」事態に対処しきれず悩んでしまうのだろうかね。自分が転校したその時々でどう対処してたんだろか。言いがかりつけてくるヤツいたけど、やがてはそいつと仲良くなってたこともあって、そのきっかけってなんだったんだろか…

自分を変に押さえ込まず、自己主張もしつつ、周りともうまくやっていく。

これは若い時代だけの問題ではないよなぁ。
なんかつまらんエッセーみたいになってもうたw

タイトルとURLをコピーしました