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印刷に関してアナログ印刷、DTP、CTP、DDPCとか

おはようございます。今朝あちぃーと思って目が覚めたのが6:00過ぎでそのまま起きて事務所に向かいました。
で、何書こうかと思うわけですがwebのことでいくつか書いたので印刷について書くことにした。でもこれは関わって来た時間が長いだけに、今日の1ブログだけで収まるわけもなくどっから始めようかなぁと。

僕が学校出てから初めて入ったデザイン事務所はエディトリアル中心で、写植指定紙を作るのが仕事でした。1990年の話。当時僕の就職条件(んな大袈裟な!)はマック(Macintosh)がある事務所でした。そこにはあったけど実際まだデザインには使われてなかったです。で、来る日も来る日も写植Q数を計算してアキとか計って段組み決めてとか、デザインって計算機使うことかい!と思ったもんです。でもま、雑誌とかページものもレイアウト出来るようにもなりたいと思ってたのでしばらく我慢(笑)おかげである意味鍛えられました。

そして次に転職(んな大袈裟な!)した先は、レコードジャケット制作中心の事務所(ビタミンスタジオ)。そのころ僕は安い給料にも関わらずMacIIciとイラレ、フォトショ、クオークをセットで5年ローンで購入。月々33,000の支払いでした。その事務所はもちろんマックが導入されていてそれはもうその時点(1992年)の最高の組合せでした。MacIIciで20インチモニターでフルカラーボードが入ってた。外付けのHD100MBもあってモノクロPSプリンタに簡易カラープリンタもあった。でもまだ完全DTP化してたわけでなく、ま、当時まだまだムリがあったので作ったロゴを96のモデム通信でマックの出力サービスに送って(当時やっとニフティが始まったころ)翌朝印画紙が届けられているという使い方でした。
レコードジャケット制作(僕が入ったころはCDになってましたが)では必ずタイトルロゴやアーティストロゴを作るのがその事務所でのやり方でもあったのだけど、マックにレトラスタジオ(←知ってる?)、イラレはもう革命的でした。入稿は版下でした。

ということで、僕は版下というアナログ入稿の最後の方の世代で、DTP最初の時代に印刷物のデザインを始めたわけです。
だから印刷に関して、今ぢゃ考えられないような入稿の仕方もしてましたですよ。表紙に使うイメージをフォトショップで加工したもの使いたいけど印刷屋さんはデータでもらっても対応出来ないということで、その部分をマック出力サービスに持ち込むわけですが、今みたいにフラッシュメモリーもCDもないので外付けHD100MBにデータコピーして持って行って預けて来て、4枚のフィルム出してもらって版下指定と一緒に入稿とかやってました(大笑)

そのころ立花ハジメさん(お元気かな)にサルブルネイの松本さん(お元気かな)紹介してもらって事務所にお邪魔させてもらったことがありましたが、それはそれはマックで輝いておりましたよ。ほぼスタッフ一人に一台のマックでフルDTPでした。ま、スタッフ一人に一台のマックという意味では当時のビタミンスタジオもそうでしたが版下併用でした。昔語りはこの辺にして、あらためて印刷工程の確認など明日したいと思います。ずいぶん変わったよなぁ。

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