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NHK大河ドラマ平清盛全50回全部見た

2012年も残す日数あと僅か。本日はクリスマスでございます。Merry Christmas! ネットやテレビでは2012年を総括する特集などが組まれておりますが、言われてみてそんなこともそいえばあったなぁと、ずいぶん薄情にも忘れておりました。

さて、NHK大河ドラマ『平清盛』も23日に最終回を迎えまして心して視聴いたしました。オープニングの展開に一瞬これはやくざ映画か!と思いましたが、物語は一気に壇ノ浦の合戦から義経自害までをダイジェスト形式で見せ、45分の間であくまでも清盛の人間像を中心に組まれておりました。1180年から1181年の死までの1年分に4回分の放送を費やしていたと思いますが、死に近づけば近づくほど積み上げて来たものがガラガラと崩れ落ちて行く様を丁寧に描いておりました。おごる平氏久しからずのプロセスを描いたわけですが、結果的にこれがちょっと残酷に思えたのも終盤視聴率上がらずの原因だったのではないかとも思いましたがどうでしょうか。個人的にはこの描き方よかったんですけどねぇ…。

武士の世は平家から源氏に繋がれていくという設定で、頼朝によって初めての武家政権が誕生した(1192年)というのが一般常識だからこそ、初回から頼朝によるナレーションだったと思います。第1回目の最初の頼朝の台詞に『平清盛なくして武士の世はなかった』と、若宮大路の一の鳥居だか二の鳥居を建てたシーンでつぶやいておりましたが、最終回はそこに繋がるストーリーで完結したわけです。
源頼朝
↑これ、一応源頼朝。一応というのは、これちゃうんとちゃう?という説が出たから。

歴史的にはその後、頼朝も盤石な政権を築くまでに至らなかったわけです。木曽義仲からはじまって義経も範頼もと、他の源氏をつぶし過ぎた挙げ句、3代将軍実朝は公暁(2代将軍頼家の子)に殺されあっけなく3代で源氏は滅びました。そいえば何年か前その公暁が実朝を殺す時に隠れていたとされる大銀杏の木も中が空洞だったとかで折れてしまいましたなぁ。下の写真は健在だったころ。

その後、承久の乱が起こりまして政子はんが御家人に頼朝さんのご恩を忘れてはいかんぞよと、大演説をかましまして後鳥羽上皇らの反乱をかわし、その後も北条氏が執権として足利尊氏にやられるまで実質的な政権運営を担ったわけでした。

どうして北条氏は将軍とならなかったのか、あるいはなれなかったのかという議論がありますが、これも諸説ありますなぁ。表向きはあえてNo.2としておきながら、脇から実質的な支配をくだしていたということですよとかは、割と役に立たないビジネス書に引用されがちな話です。一方で、いやトップに立ちたかったに決まってると。お〜そりゃそーだろと思います。でも、やはり当時北条氏というのは関東一円の豪族としてはそもそも身分が低かった。いくら政子はん、山木兼隆から逃げ出し頼朝さんの鬼嫁になったとは言え、三浦、伊東、千葉といった(今でも地名が残ってるわけですが)近隣豪族と比べてやはり周りから認められなかったのではないかという説があります。わてくしはなんかこれに賛成です。でもま、後の戦国時代に秀吉に小田原城攻められて滅びるまで北条氏続いてたようで、鎌倉時代の前後は読み込んで行くと面白いもんです。

というわけで、前置きだけで1200wほどになってしまったので、仕方なく本編はこの前置きで完結としたいと思います。平清盛、視聴率は最低だったけども内容はよかったのでDVDとして保存しておきたい作品だったと思います。

来年の大河ドラマはまた明治維新時代のものです。会津藩の戊辰戦争の話から始まりそうですが、鎌倉時代のほかに好きな時代が明治維新なのでまた日曜夜8時にテレビに向かいたいと思うわけです。

しかしツイッターbotに、西行(佐藤義清)bot、北条政子bot、崇徳院botまであるのは笑える。

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